高かった美顔器、買った時はあの肌がとっても綺麗な友達が使ってるやつやっとゲットした!!
これで私もツルツル肌!!
と高揚してたんですけどね。
結局あまり使わなかったホームベーカリー、デザインに一目惚れしたドライヤー。
どれも「自分を丁寧に扱おう」って、意気込んで買ったものばかりだったんですよ。
それなのに、生活が変わると、いつの間にか出番がなくなってしまったんですよね…。


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私の仕事部屋は、私の集中力や気持ちそのものをつくる場所なんです。
家で仕事をするフリーランスにとって、空間の心地よさって、正直、仕事のクオリティに直結する。
だから、家具の配置も、壁の色も、机の上も、いつもちゃんと整っている状態を、すごく大事にしてきたんです。
自分への、最高の自己投資だと思って…。
でも、そんな私にも、ずっと見て見ぬふりをしている場所が、一つだけありました…。
ウォークインクローゼットの奥。
普段は扉を閉めてしまえばいいだけの話なんですが、時々開けるたびに、あの箱が目に入って「あーあ、またそのまま放置しちゃったよ」って、胸の奥が少し重くなる。
本当に何でもない段ボールなのに、あれを見るたびに、何となく息苦しいような感覚があったんです。
あの箱こそが、私の中に知らず知らずのうちに溜まっていた、静かな心のノイズのようなものでした。
中に入っているのは、ほとんど使う機会がなくなってしまった美容家電やキッチン家電です。
高かった美顔器、買った時はあの肌がとっても綺麗な友達が使ってるやつやっとゲットした!!
これで私もツルツル肌!!
と高揚してたんですけどね。
結局あまり使わなかったホームベーカリー、デザインに一目惚れしたドライヤー。
どれも「自分を丁寧に扱おう」って、意気込んで買ったものばかりだったんですよ。
それなのに、生活が変わると、いつの間にか出番がなくなってしまったんですよね…。

たぶん、それを捨てられない理由の一番は、「お金がもったいない」というよりも、「あの頃の理想に届かなかった自分」を認めるのが嫌だったからだと今となっては、そう思うんです。
箱を見るたびに、チクチクと罪悪感が湧いてきて、「昔の私、もうそんなに背伸びしなくてよかったのに」って、過去の自分の行動を悔やむことをしたくないのに、頭のどこかでそう思ってしまう、それが嫌なんですよね。
だから、私は意識的にあの箱から目を逸らしていました。
でも、目を逸らしている時点で、もうとっくにあの箱の存在に、心のエネルギーを吸い取られていたってことなんだと思います。
「捨てる」という選択肢は、現実的に考えられませんでした。
高価な買い物でしたし、まだ動くものをただゴミにするのは、環境に対しても、モノに対しても申し訳ない。
罪悪感がありますよね。
それに、家電の処分って、想像以上に面倒なんです。
リサイクル券、分別方法、とにかく調べるのが本当に億劫で仕方なかったです。
「フリマアプリで売ればいい」って、もちろん分かっています。
でも、それも以前試して、見事に挫折しました。
写真、説明文、やり取り、梱包、発送―全部やると、本当に半日くらいは潰れるんですよ。
時間は私にとって、仕事そのもの。
たった1時間でもその作業に取られると思うと、やる気がすーっと冷めてしまって、結局続かなかった。
それで、「もう、いいか」と放置して、クローゼットの奥に戻す。この繰り返しを、何年も続けていました。

引っ越しをしても、あの箱だけは同じように連れてきて、新しい部屋でもまた同じ場所に置かれている。
半ば諦めというか、自嘲気味に笑っていたくらいです。
でも、心の奥底では、ずっとわかっていたんです。
このままじゃ、いつまでたっても「心の区切り」がつかないんだなって。
そんな時、たまたまネットの記事で「BANSO」というサービスを見つけました。
スマホで完結する買取らしいんだけど、「売る」とか「査定」というよりも、「心の荷物を次の誰かへ、そっと橋渡しする」ような、やさしい言葉が並んでいたんです。
正直、最初は「どうせ他と変わらないだろう」って、全く期待していませんでした。
「きっと面倒な手順が隠れてるはずだ」って、疑心暗鬼だったんです。
だけど、サイトを読み進めるうちに、「買取の一部を、子どもの教育支援に寄付している」という一文が、ふいに目に飛び込んできました。
それを見た瞬間、胸の奥が、熱くなるのを感じたんです。これだ、って。
「これなら、ただの罪悪感じゃなく、“誰かへの優しさ”として手放せるかもしれない」
その言葉が、私の中で響いてきました。
その夜、私は長年の重い気持ちから、ようやく手を伸ばして、スマホを手に取ったんです📱
あの夜、ついに私は動けました。その日の仕事を終えて、パソコンをそっと閉じる。
部屋の灯りを少し絞って、BANSOのサイトを開いたんです。
昼間のバタバタが引いて、気持ちが落ち着くこの時間。
一日の中でいちばん「自分と正直に向き合える」と感じていたから、手放すなら今しかない、って直感していました。
公式サイトからLINEを開きました。
売りたい家電の名前と、正直な状態を文字でパッと入力して、スマホで写真を数枚撮って送る。
本当に、「え、これだけ?」と拍子抜けするくらい、シンプルな作業でした。
「フォームを埋めるのに時間がかかるんだろうな」
「返事もきっと翌日だろうな」
―そんな予想をしていた私の考えは、すぐに裏切られました。
ものの数分後、スマホの通知が光ったんです。📱
「えっ、もう返事来たよ!」思わず声が出ました。
信じられないくらい、対応が早かった。
BANSOから届いたメッセージには、査定金額と一緒に、「お品物を大切に使われていたことが伝わります」という一文が添えられていたんです。
そのたった一言で、私は完全に張り詰めていた肩の力が抜けるのを感じました。
提示された金額よりも前に、「ちゃんと見てくれている人の言葉」があった。
モノを「事務的な在庫」としてではなく「次に繋ぐ、大切な品」として扱ってくれている気がして、胸の奥がじんわりと温かくなったんです。
それまでの買取サービスに対するイメージは、正直、冷たくて、淡々としたものでした。
でも、この最初のやり取りだけで、私の抱いていた印象はガラリと変わってしまった。
「この人たちになら、モノの未来を安心して任せられる」そう確信できたのは、査定額の多寡とかじゃなくて、メッセージから伝わる“言葉のやわらかさ”でした。
私の「時間を大事にしたい」というプロ意識、そして「モノを粗末にしたくない」という気持ち、その両方を尊重してくれたと感じたんです。

本人確認の手続きも、あっけないほどスムーズでした。
スマホで身分証を撮って送るだけ。郵送とか、印鑑を押す作業は一切なし。
リビングのソファに座ったまま、ものの数分で全て完了。
「もう本当に終わりなの」って、ちょっと拍子抜けするくらいの簡潔さ。
でも、この手間をかけない設計が、本当にありがたかった。
私の仕事の集中力を削ぐことなく、まるで静かに流れる川の水のように手続きが終わってしまいました。
そして翌日、家で使える段ボールを取り出して、モノを詰めました。最後に小さく「今までありがとうね」と心の中で囁いて、テープを貼る。
この梱包作業だけが、私が唯一モノに費やした、感謝の締めくくりの時間でした。
それだけで、長年の懸案事項に、やっと区切りがついた気がしたんです。
あとは、ウェブで集荷を依頼するだけ。
ヤマトのドライバーさんが着払い伝票を全て持ってきてくれて、玄関先で「お願いします」と渡して終了。
ほんの短い立ち話程度の出来事でした。🚪

でも、その短い時間が、ずっと胸の中にあった「やらなきゃいけないこと」という心の重りを、本当にきれいに外してくれた気がしました。
「ああ、もうこれで大丈夫なんだ」と思えた瞬間、自然と深く静かに深呼吸している自分に気づいたんです。
この心の解放感は、あの金額以上の、私にとって最高のご褒美でした。
家電が届いたその日にはもう検品が終わって最終買取金額の連絡、承諾手続きをして夕方には、「ご入金が完了しました」という通知。
通帳アプリを開いて数字を見たとき、お金が入ったことよりも、「ちゃんと最後までやり遂げたんだ」っていう、静かな満足感のほうがずっと大きかったです。
ここまでの流れが、あまりにも人間的で、スムーズでした。
途中で一度も「あー、面倒くさい!」という感情が湧かなかった。
これが、私にとって最大の驚きであり、感動です。
時間を何よりも大切にする在宅ワーカーにとって、効率と心の平穏を両立させてくれるサービスは、本当にありがたい存在です。
あの箱がなくなって、クローゼットの奥が空っぽになった後、すぐに気づいたことがあります。
部屋の空気が、なんだか薄くなった気がしたんです。
物理的な体積が減っただけじゃなくて、私の頭の中にあった「いつか片づけなきゃ」っていう重い空気が、そっくりそのまま抜けていったみたいでした。

結果、私の中で、いくつかの大切なことがハッキリと見えるようになったんです。
まず、時間の捉え方が変わりました。
モノをどうしようか迷っている間って、ずっと頭の片隅で、あの箱のことを考えているんですよね。
あれがなくなったら、休憩中にふと何も考えない瞬間が戻ってきました。
ただお茶を淹れて飲むだけの5分が、すごく静かで、満たされる時間になった。
あの箱が、私の思考のエネルギーを、ずっと無駄に奪っていたんだなと気づきました。
それから、残ったモノへの気持ちが、優しくなりました。
以前は「もったいない」という理由でモノを抱え込んでいたから、残ったモノに対してもどこか義務感があった気がします。
でも、あの「心の引っかかり」だったモノを、誰かの役に立つ方法で手放せたという成功体験が、私に「本当に必要なモノだけを愛する」という気持ちを教えてくれたんです。
今、私が使っている道具一つひとつを、愛情込めて手入れする。
この丁寧な習慣が、私の心地よい暮らしを、本質的に支えているんだなって思いました。
あと、これは本当に不思議なことなんですが、仕事のアイデアの出方が変わったんです。

モノが減って、部屋全体の色が明るくなったように感じると、不思議なことに、思考のトーンも明るくなるんです。
情報量が少なくなったからか、仕事で何かアイデアを出すときも、あれこれ余計なノイズが減って、本当にシンプルで純度の高いものが、パッと生まれるようになった。
モヤモヤした頭の曇りが、嘘みたいに晴れたような感覚です。
結局、あの箱がなくなって手に入れたものは、クローゼットの空間だけじゃなくて、心の余白だったんだと思います。
この余白が、私の仕事の質も、暮らしの質も、底上げしてくれた気がするんです。
モノの数を数えることが目的じゃなかった。
モノと自分の関係を健康にすること、それが全てだったんですよね。
すべてのプロセスが終わって、部屋に静けさが戻ってきたとき、私がいちばん最初に気づいたこと。
それは、部屋の「音」でした。
クローゼットの奥から、エアコンの風の音とか、外の鳥のさえずりが、何の邪魔もなく、クリアに届くようになったんです。
前は、モノが詰まっていて、空間が呼吸できていなかったのかもしれません。
今は、部屋そのものが新鮮な空気を取り入れているみたいに感じます。
この静けさって、私自身の呼吸まで、自然と深く、穏やかにしてくれたんですよね。
朝、窓を開けると光がまっすぐ床に伸びて、その光の筋の中にコーヒーの湯気がふわっと立ち上る☕️
そんな何でもない一瞬一瞬が、今はたまらなく愛おしいんです。

モノが減ったおかげで、日常生活の中にある、小さな豊かさが、以前よりも何倍も鮮やかに見えるようになりました。
自分の行動が、社会の優しさに繋がっている
このことが、何よりも私を満たしてくれたんです。
フリマアプリで得られる「個人の利益」よりも、こうやって、優しさが社会の中で循環していくことのほうが、ずっと心が満たされる。 この「優しさの循環」こそが、私の丁寧で心のこもった暮らしの、新しい基準になりました。
LINEでのやり取りも、本当に最後まで温かい気持ちが伝わってきました。
「この度はありがとうございました」というメッセージに、“人の温かさ”がこもっているのを感じました。
モノを次の持ち主へと繋ぐ、この一連のプロセス全体が、愛情のこもった、心地よい体験だったと言えます。
部屋の棚には、今、小さな花瓶を置いています。
一輪の花が、窓からの光を受けて静かに揺れている。
それを見ていると、なんだか自分の心まで整っていくような気がするんです🌷
モノが減ったことで、自分にとって本当に大切なものが、よりくっきりと浮かび上がってきました。
あの段ボールを放置していた時間も、もしかしたら無駄じゃなかったのかもしれません。
でも、思い切って動いたからこそ、いま、この穏やかな景色を見ることができています。
行動したことで、長年私を縛っていた心の重しから、私はやっと解放されたのです。

もし、今、あなたの部屋にも「気になっている箱」があるなら、焦って無理に片づけなくても大丈夫。
でも、ほんの少しだけ、その扉を、そっと開けてみてください。
その瞬間、そこから流れ込む風が、あなたの暮らしに新しい光と、静かで豊かな心のゆとりを連れてきてくれるかもしれませんよ。
写真を撮って送るだけ
かんたんだけど査定価格に自信あり!

